あの日、僕の心に火がついた
1987年6月4日。
この日を、僕は今でも“革命の日”として覚えています。
当時高校生だった僕は、社会のルールや大人の論理にどこか納得できずにいました。
でも、言葉にする術も、変える力もなかった。
そんな時、テレビ越しに目に飛び込んできたのが、全日本プロレスの中で孤高の道を歩き始めた「天龍源一郎」でした。
天龍さんが最大のライバルであった、ジャンボ鶴田に牙をむいたあの瞬間。
それまでの秩序をぶっ壊し、己のやり方を貫こうとしたあの姿に、僕の心が震えたのを今でも覚えています。
当時の全日本プロレスは、長州力が新日本にUターンし、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田を頂点とした、元のマンネリ化した時代に戻っていこうとしていました。
そこに天龍さんは、「もっと激しく、もっと魂をぶつけるような本当の闘いを見せたい」という熱い想いを抱き、既存の価値観に猛然と反旗を翻しました。
そして阿修羅原をはじめとする、仲間達と共に“天龍同盟”を結成し、自らの意の赴くままにリング上の闘いを熱く活性化させ、プロレスそのものを変えようとした──それが「天龍革命」というモニュメントです。
天龍革命は、僕にとっては単なるプロレスの中の出来事だけには留まりませんでした。
そしてあの頃の多くのプロレスファンにとっても。
僕には、それが「男の生き方」そのものに見えたのです。
不器用でも、筋を通す天龍さんの魅力
天龍さんは決して雄弁な人ではありません。
けれど、試合後の一つひとつの重い言葉と、試合で見せる反骨心溢れる表情、なにくそ!という試合内容、その全てには強い説得力がありました。
媚びない。群れない。言い訳しない。
どこまでも「俺は俺だ。文句あるか」という姿勢が貫かれていました。
それは、自分の中にある“理屈では言えない自分にとっての正義・理屈”を信じて、闘い、貫くということ。
今の時代ではそれを「不器用」と呼ぶのかもしれません。
でも、その不器用さこそが、僕には誰よりも格好よく見えました。
「嗚呼、恰好悪い事はなんて格好いいんだろう」と。
今、改めて問いたい「男らしさ」とは何か
この時代、「男らしさ」という言葉自体が古く感じられるかもしれません。
でも、天龍さんという存在は、そんな表面的な価値観を超えたところにあります。
優しさを薄っぺらく表に出すこともなければ、悩みをSNSに書き連ねることもない。
ただ黙って、リングに立ち続け、我々ファンのために戦い続けました。
その姿は、今の時代にこそ必要な「矜持」や「覚悟」を教えてくれている気がしました。
「自分の信じる道を、最後まで貫けるか?」
天龍さんの背中は、引退された今に至っても、そう問いかけてくれている気がします。
天龍さんと、僕自身の人生
僕がこうしてブログを続けているのも、天龍さんの存在が大きな支えになっています。
人生において、何度も迷いました。
仕事で、家庭で、あるいは“自分はこれでいいのか”という自分への問いに何度もぶつかりました。
でも、そんな時に思い出すのは、かつて僕の目の前で革命を起こした天龍さんの背中です。
「何が正解かは、自分で決める。周囲じゃない」
その信念が、今の僕を支えてくれているのだと思います。
これまでこのブログ内で天龍さんについて色々綴ってきた記事たちは、僕なりの“人生の教科書”だったのかもしれません。
きっと僕は「天龍さんから男の人生に必要な物の全てを学んだ」と言っても過言ではないのかもしれません。
革命の日は、僕の原点
毎年、6月4日になると、僕は自分に問いかけます。
「今でも、僕は自分の信じた道を歩けているか?」
ただのファンとしてではなく、天龍さんから学んだことを、人生に活かせているかどうか。
だから今日もまた、僕は天龍さんに心から感謝を捧げたいと思います。
6月4日。
それは、“男としての覚悟”を思い出す日です。