戦争に大義も正義もないという現実

ウクライナとロシアの戦争で世界はこの数か月大忙しだ。

そんな中、先日ネットニュースで、ウクライナから各国の支援に対する感謝のSNS発信に「日本の名前がなかったのが嘆かわしい」とあった。

ニュースのまとめサイトであったため、僕は内心「戦時下の人達はこの大変な状況なのに、、」という感想を持って、またそういう考えの方がほとんどだろうと、そのニュースのコメント欄を見て、とても驚いた。

大多数が「がっかりだ」「もう支援したくない」「日本を軽んじている」などなど、ほとんどがウクライナを非難するものだった。

いつからこんな考え方が主流になったのだろう?

日本人というものは、困っている人に無為の助けの手を差し伸べる、それに対して見返りを求める事など卑しいと思う、そんな高潔な民族だったのではなかろうか、と僕は正直に思う。

閑話休題

そもそも戦争というものに加担するという事に、少し考えを巡らして欲しい。

ウクライナとロシアのどちらにこの戦争の大義があるのか、その事に対して自分の頭で考える必要がある。

そして、もともと戦争というものに、本当に大義という名の正義が備わっているのだろうかという事を。

休みを使って、先日長崎の平和公園と原爆資料館に行ってきた。

僕は日本という国はもちろん好きだし、ただ周辺の国の国民の生活も尊重したい。

日本の領土が他国に脅かされれば、それを武を持って防衛する事も必要だと思う。

みんなが自分の国だけで幸せに暮らしていければ良いのに、、と思いながらもそれが現実社会では立ち行かないのも何となく理解はしている。

「それでも戦争はしてはいけない」

毎日、戦争映画のように、国土が蹂躙されていく映像が垂れ流されている現状に流されてはならない。

「それでも戦争はしてはいけない」

この事を心に深く刻み続ける事が、被爆国に生まれた我々日本人の責務だ。

人には歴史がある。

是非、日本人全員が70数年前我が国が焦土と化した、あの世界大戦について学び直し、思い起こしてほしい。

「それでも戦争はしてはいけない」

この事に気付いてほしい、と僕は思う。

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