今日でちょうど社会人生活30年

今日は、小さな個の存在である僕が働き出して丸30年という、とある一日だ。

1994年4月1日、大学を卒業した僕は福岡のアパレルメーカーに就職し、社会人生活がスタートした。
営業職として2年程本社で働き、3年目に大阪に転勤し半年ほどで新ブランド設立、営業とMD職に従事した。
環境の変化、失敗と挫折を経験し、まだまだ幼かった僕は学びながら、日々一生懸命生きていた。
その後、ある気付きから、就職する際に描いていた夢を実現するために独立を意識する事になった。

2006年3月31日、福岡の会社を退社し、4月1日に株式会社アフレッシュを創業し、常務取締役に就任した。
アフレッシュは当時流行であった、生産直小売を実現する事を目標として設立された会社だった。
ただ、僕にはそのスキルが不足していた、経営層としての手腕も、知識も。
広げ過ぎた店舗網を縮小、閉鎖し、卸専業へとアジャストし、何とか形になりそうだと思った際にも、色々な試練が降りかかってきた。
そして、丸16年かかり、なんとか終わりが見えてきたタイミングで、僕には新たな機会が訪れた。

2022年3月31日、アフレッシュを退社し、株式会社エルフォーティーの代表取締役を専任する事になった。
ここで長年の経験と知識の蓄積であった、越境的な仕事に専念する事になる。
まだまだ、やらねばならない事は目白押しで、毎日が押しつぶされそうだが、今までの経験を糧にし、なんとか生き残ろうとあがいているのが、今の状況だ。

30年前の僕の身体は、夢と希望でパンパンに膨れ上がっていた。
あの頃の僕は、今の僕をどう見ているのだろうか?
あの頃の僕から、今の僕に問いて欲しい。
「今でもあの頃みたいに、毎日夢と希望を持って生きているかい?」と。

そして、今の僕から「僕は少しは成長したかい?」いう問いへの、評価もして欲しい。
人は年代に合わせてその仕事のやり方、生き方を変化させなければならない。
それが成長というものだ。
20代、30代、40代、そして今の50代と年齢を重ねる度に、そして役職、立場が変わる度に僕はその都度自分を変化・成長させるために、時には若干無理をしながら生き抜いてきたつもりだ。
僕の足跡を振り返ると、どういう道程を辿り、今の自分があるのか?と思い起こす瞬間もままある。
第三者に、あの頃の僕と今の僕を比べて欲しいなとも思う。
そして、その頃の僕からの批判も聞きたいな笑

たまに今の僕を評価する人もいる。
でも、僕はその時にいつも「本当の僕を知っているのかい?なぜこういう人間になったのかの」という言葉を押し抱き、黙して聞く。
他人の評価が自分の本当の評価というのが一般常識ではあるが、切り取った瞬間の評価に果たして意味があるのか?と思う僕もかたやいる。

いい機会だから記すが、僕はいつでも「なぜ頑張らないといけないのか?」という事を意識し、そのための目標設定を絶えず意識しながら生きている。
人によっては僕に「生き急いでるね!」という言葉を投げかけるが、僕は全然そう思わない。
僕は毎日毎日自分が立てた、自分の人生を遂行する事に全力投球しているに過ぎない。
そこに違和感も、頑張っている感もないし、他人を先んじているつもりも毛頭ない。

もしかしたら、他人よりもその目標に達するスピードが僕は早いのかもしれない。
ただその達成の瞬間に僕の胸に去来するのは「さあ、次は何を目標に生きるんだい?」という事だ。
この時が僕が一番焦るタイミングかもしれない笑
なぜ自分は頑張るのか?という次の目標・動機づけを探す事に。

人の人生には一生ゴールなどない、僕はそう思う。
「人生とは、その都度のゴールを設定し、そこに達したら、間髪入れずに次のもっと高度なゴールを設定し、また走り出す」
少なくとも僕の人生観はこれだ。
それを繰り返す事で、いつのまにか自分が高次元に達していくのだと思う。

そしてもう一つ思うのは、頑張れる人間は頑張る義務があるという事だ。
稚拙な言葉でしか書けないが、世の中には頑張らない人間と頑張れない人間もいる。
その2つが頑張ってくれないのであれば、少なくとも頑張れる可能性がある人間が頑張らないと社会は崩壊してしまうのだ。
誰かを頑張らせるよりも、僕は自分が他人の数倍頑張れば、大概の事は達成出来る事を経験上知っている。

加えて、本当は頑張りたかった人間の分も、今頑張れる人間はやらないといけないと思う。
僕の母親と妹は早くに亡くなった。
彼女達も本当はもっと人生を楽しみたかったはずだ、だから僕は彼女達の分まで人生を一生懸命生きたいと思う。
僕の本音は本当はここにあるかもしれない。
物事が上手くいかない時、自分が腐りそうになった時、僕は彼女達に思いを馳せる。
出来ない自分を見て、彼女達を失望させないように、僕はまたエネルギーがそこで出る。
死後の世界を信じていない僕は、2度と会う事のない母親と妹に褒めてもらいたいのか?笑
でも、彼女達の人生を背負う事で、僕が簡単にへこたれなくなったのは紛う事なき事実なのだ。

最後に、30年前の僕に向かって、今日の僕はこう言いたい。
「あの頃とは少し変わってしまったかもしれないけど、いつだって僕は夢と希望を持って生きてるよ」
「多分死ぬまで、こうやって僕は生きていくよ。だから心配しないでね」ってね。

明日は31年目の初日。
いつだって通過点である。
まだまだ人生のゴールは先であり、一生懸命の人生は続く。

目次