友達なんか少なくて良い

学生の頃悩んだ事がある。

「周りの人間と価値観が合わないな」という事だ。

無理して合わせる事も多々あり、それが苦痛だった。

また、周りもそれが分かるのだろう、疎遠になる人間も多かった。

今も昔も学校の先生達や、何も考えてない友達や、職場の人間は「友達は多い方が良い」という人も多いだろう。

それにそぐわない自分というモノの事を思い悩む、あの頃の僕のような人間もいると思う。

でもそれは嘘だから。


僕がそれに気づいたのは、学生時代にベンチャー的なビジネスをやった時の事だ。

ある大人の人との密接な付き合いの中で友情を育む事があった。

その時に「ああ、僕はこういう人達との交わりが一番心地いいな」と思った。

その時にはっきりと、学校の友達と自分が違うんだな、と認識できた。

そして、そんな僕を受け入れてくれる人達がちゃんといるんだ、という事を知った。


友達なんか少なくても、例えば一人しかいなくても、ひょっとしたらゼロでも幸せに生きていけるから。

合わない友達とくだらない時間を費やすより、一人で好きなように生きていく方が幸せだから。

自分というモノ、自己を確立するには他人なんか必要ないから。

というか、自己は自分一人で作り上げるものだから。

それが他人と合わなくても何の問題もない。

他人と無理して合わせている内に、自分がどういう人間なのか、分からなくなる危険性の方が大きい。

友達が少ないより、自分という存在を確立できない事の方が、自分の人生にとっては大きなマイナスだ。


人によっては幼馴染や学校の頃の友達しかいない、という人がいる。

僕はなんだかな、と思う。

幼馴染や学校の友達なんか、ただたまたまその頃、同時期に偶然遭遇した人間だ。

なぜ彼らとの関係に固執するのだろう。

もしくは、自分が自己の確立が出来ないままに歳をとり、成長過程において、自分の本当の友達に出会えていないだけだと僕は思う。

僕は成長する過程で、新しい友達を作れない人を可哀想だなとさえ思う。

それは、本気で自分と向き合い、自己を確立する、そういう努力をしなかったのだろうと思う。

子供の頃から成長できていない人間に、大人は興味を示さないのは当たり前だ。

自分に人間としての魅力がない、という事を自覚しなければならない。


そして、知り合いと友達は違うから。

僕は「人脈」という言葉が死ぬほど嫌いだ。

なにが、人脈だよ、と思う。

ただの知り合いじゃねえかよ、と思う。

知り合いと友達を勘違いしている人とは、僕は付き合えない。


自分に合う友達は自然に現れるものだ、自分が自分らしく生きていれば。

そして、自分らしく生きれていない人間には、決して本当の友達は出来ない。

それは少なくて問題ないし、もしくは一人か、いなくても全然問題ない。

自分が自分らしくいれる事の方が、生きるためには一番大切な事だから。

そのためには自己の確立をする努力を怠ってはいけなく、それは自分一人で行うものなのだ。

周りと違っても何の心配もいらない、それが自分らしく生きる、という事なのだ。

目次