恥をかいて、怒られて、それでも僕はラッキーだった
若い頃、自信満々だった僕
若い頃の僕は、自信に満ちあふれていた。
自分の意見に確信を持ち、どこかで「自分の方が正しい」と思っていた。
年上の人や上司に対しても、物怖じせずズバズバ意見を言い、正論だと信じて疑わなかった。
総スカンを食らった、あの会議
ある日、自分なりに一生懸命考えた提案を持ち込んだ。
資料も作り込み、プレゼンも準備万端。「これはいける」と、自信すら持ってた。
でも、現実は甘くなかった。
上司や同僚から返ってきたのは、冷ややかな反応。
「それは机上の空論だ」
「現場を見て言ってるのか?」
「理屈は分かるけど、現実には無理だよ」
その瞬間、会議室の空気が一気に冷えたのを覚えている。
恥ずかしさ、悔しさ、そして少しの怒り──そんな感情が渦巻いた。
能書きだけじゃ通じない現実
時間が経つにつれ、僕はようやく気づいた。
自分が出した提案は、現実を知らない“能書き”にすぎなかったということに。
数字や論理だけで組み立てた「正しさ」は、現場の感覚に根ざしていなければ無力だと、はじめて痛感した。
素直に認める“勇気”の価値
あのとき、自分の間違いを受け入れられたのは、
今思えば、自分の中に少しだけ“素直になる勇気”が残っていたからかもしれない。
「お前の考え方はいい。でも、そこに“現実”をどう組み込むかが足りない」
そう言ってくれた先輩の言葉が、今も心に残っている。
恥をかいたとき、それを素直に認めるのは簡単なことではない。
でも、その一歩が、自分を成長させてくれた。
僕はそのことを、身をもって学んだ。
今の若い人に、届かなくてもいい──でも…
今、僕が若い人に同じようなアドバイスをしても、なかなか伝わらないことがある。
「うるさいな」「それ、今の時代に合ってないでしょ」──そんな反応もある。
でも、それでいい。
僕自身も、若い頃は人の話なんてまともに聞けなかったから。
ただ、いつも感じることがある。
あるとき、若い子にアドバイスをした。
彼なりに頑張っていたのは分かっていたけれど、明らかに方向性が危うかった。
だから思い切って「今のやり方は違うと思うよ」と伝えた。
でも、彼はそれを受け止めることができなかった。
そのとき、僕は思った。
「彼は、まだまだこれから成長していく途中なんだろうな」
そして同時に、「それをうまく伝えきれなかった自分の未熟さ」も感じた。
どちらが悪いという話じゃない。
伝えられなかった自分にも、まだ経験値が足りない。
「伝える」って、本当に難しい。
ただ正しいことを言えばいいわけじゃない。
相手のタイミング、状況、心の状態に合わせて伝える力がなければ、言葉は届かない。
だから今は、こう思っている。
届かなくてもいい。
でも、残るような言葉を話したい。
いつか彼が壁にぶつかったとき、
ふと、僕の言葉を思い出してくれたら──
そのとき、ようやく“届く”のかもしれない。
真の大人になるために必要なこと
結局のところ──
本当の意味で“大人”になるって、
恥をかいて、それを素直に認めて、また一歩成長する。
その繰り返しなんだと思う。
だからこそ、それを避け続け、間違いを認めず、
自分を守ることばかりを考えていては、
いつまでたっても“真の大人”にはなれないのかもしれない。
失敗することよりも、恥をかくことよりも、
それを受け止めずに固まってしまうことの方が、ずっと怖い。
だから僕はこれからも、恥をかくことを恐れずに、
素直さと前向きさを持って、大人として成長していきたいと思う。